鳥取県日南町 生山駅・上石見駅開業100周年

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鳥取県日南町 伯備線 生山駅・上石見駅 開業100周年記念

伯備線 生山駅・上石見駅 開業100周年事業

日南町実行委員会

日南町

日南町は鳥取県日野郡の最西南部のまちです

鳥取県の三大河川のひとつ日野川がながれ、
1,000m級の中国山地の山々に囲まれた日南町。
豊かな自然に恵まれ、
古にはたたら製鉄や鉱山の地として発展してきました。

そして今日、
農林業を基幹産業として、様々な産業振興に取組んでいます。
これからも日南町は伯備線と共にさらなる発展を目指しているまちです。

生山駅と上石見駅の開業100周年を迎えるにあたり、
これまでの日南町をかけ足ですが、振り返ってみたいと思います。

日南町の位置

 日南町は中国地方のほぼ中央に位置し、中国山地に囲まれた山間地にあります。
陰陽連絡路線として100年前に開業した伯備線の生山駅と上石見駅があり、今も『特急やくも』やローカル線が走る自然豊かな町です。

日南町のなりたち

 1959年|昭和34年の4月1日、日野郡にあった5つの町村(伯南町、高宮村、多里村、石見村、福栄村)が合併し、現在の日南町が発足しました。
『日南町』と言う名称は、合併する町村が日野郡の南に位置する事から命名されました。
 今年2023年で日南町63年の歴史です。

日南町の町村合併の変遷

日南町

1959年4月1日|昭和34年
高宮村・伯南町・多里村・石見村・福栄村が合併し、日南町が誕生。

高宮村

1955年7月1日|昭和30年
大宮村・阿毘縁村が合併、高宮村となる。

大宮村

阿毘縁村

伯南町

1955年5月21日|昭和30年
日野上村・山上村が合併、伯南町となる。

日野上村

山上村

多里村

石見村

福栄村

日南町の風景

 日南町が誕生する、ずっと前の風景をちょっとだけご覧ください。
昔の風景は生山駅・上石見駅の開業100周年式典や各イベントの時に多くの様々なシーンの写真を展示します。
そちらにも是非、お越しいただきご覧いただきたいと思います。

産業のあゆみ

 現在、日南町があるこの場所では『町村合併』以前のずっと遠い昔から地域性や風土・気候に合わせて様々な産業が営まれて来ました。
それらについての変遷もちょっとだけご覧いただき、今日まで続く日南町のあゆみに想いを馳せていただければ幸いです。

たたら製鉄

玉鋼

資料提供:大宮まちづくり協議会

 古代より鉄鉱石が採れない日本での製鉄の手法は、花崗岩などにわずかに含まれる砂鉄をもちいた『たたら製鉄』というものでした。
たたら製鉄より生み出された玉鋼は、長い日本の歴史上でも”日本刀”をはじめ、様々な鉄器や農機具にも利用されてきました。

その玉鋼の中でも最高品質を誇った『印賀鋼』と呼ばれた鋼がありました。
それは現在の日南町内各地に存在した鉄穴場で採れた砂鉄をもちいて、日南町大宮地区で約100年前まで操業していた吉鈩(よしだたら)で生産され、
全国へ出荷され、流通した玉鋼でした。

そんな日本の歴史上でも重要な存在であった『たたら製鉄』『玉鋼』についてちょっとだけ、ご紹介します。
本格的な『たたら製鉄』についての内容は伯耆国たたら顕彰会のたたらNavi.サイトをご覧ください。

  • これは日南町大宮地区に存在した吉鈩を史実資料を基に再現し、製作されたジオラマです。
    大宮地域振興センターに常設されている『たたらの学校』に展示されています。

    資料提供:大宮まちづくり協議会
    ジオラマ製作:井上恵子氏

  • この写真は明治末期〜大正初期、日南町阿毘縁(あびれ)深﨏の鉄穴(かんな)場を撮影したものです。

    資料提供:日南町教育委員会

『たたら製鉄』について

下記メニューは『伯耆国たたら顕彰会』サイトの各メニューへリンクしています。
今回は『伯耆国たたら顕彰会』様のご厚意によりサイトへのリンク、引用についてご賛同いただきました。

『たたら製鉄』の歴史を年表で見てみます。 日南町ゆかりの地名や名前が出てきます。

略年表

  • 5世紀初頭

    ■日南町印賀の横穴古墳より刀・槍出土。原料鉄は大陸系の輸入鉄と分析される。

  • 6世紀後半

    ■日本で砂鉄製錬による鉄の生産始まる。

  • 古代

    ■孝霊天皇の鬼退治伝説

  • 平安時代

    ■スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治伝説
     鬼やヤマタノオロチは、タタラ師をあらわすといわれている。
    ■伯耆(大原)安綱とその一門による作刀。「童子切」ほか名刀を今日に残す。

  • 鎌倉時代

    ■伯耆会見郡古鍛冶の始祖大原安綱、反りのある日本刀を創始(源氏の宝剣「鬼切」)

  • 1254年

    ■古都文次郎信賢、土着して日南町印賀阿太上山で印賀鋼をつくる(日野郡史)

  • 1333年

    ■元弘の乱船上山の戦い
    隠岐島を脱した後醍醐天皇が挙兵を行った最初の戦い。この後に鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立する。

  • 室町時代

  • 1484年

    ■日野の鉄山を支配し、鉄の技術集団であった蜂塚氏が江美城を築城。

  • 1565年

    ■蜂塚氏、毛利・尼子の戦により滅亡。江美城落城。

  • 江戸時代

  • 1600年

  • 慶長5年

    ■尼子氏の家臣木下家が日南町阿毘縁の大谷山、笠木の谷中山で鉄作りを開始、1615年には法橋家とともに山分けをして鉄山師となる。

  • 1638年

    ■松平直正が松江藩主となり参勤交代が行われるようになり、そのルートが出雲街道と呼ばれるようになった。
     日野郡産鉄も運ばれた。

  • 1694年

    ■日野郡鉄山を鳥取藩の御手山とし、鉄奉行、鉄目付を置く。(~元禄11年8月)

  • 1779年

    ■近藤家(根雨)日野郡山上村笠木の谷中でたたら製鉄を始める。

  • 1784年

    ■日野郡宮市村の下原重仲が「鉄山必用記事」を著す。

  • 1800年

    ■鳥取藩による鉄山支援策として、海路為替回漕仕法が始まる。日野郡産鉄は米子港から全国へ流通する。
    鉄山融通会所

  • 1836年

    ■天保7年、近藤家が大坂靭南通四丁目に自家産鉄販売の出店(鉄店)を開いた

  • 明治時代

  • 1883年

    ■日野川水系の根雨-車尾間に15隻の川船が通い鉄も運送する。(~明治19年)

  • 1893年

    ■会見郡米子町の有志、日野川流域の砂鉄採取停止の陳情書を提出する。
    長い年月をかけ、たたらで流す砂が堆積して島々が作られ弓ヶ浜半島になったと云われている。

  • 大正時代

  • 1919年

    ■第一次世界大戦講和により、鉄価が三分の一に下落する。

  • 1921年

    ■近藤家(根雨)経営のたたらがすべて廃業となる。各鉄山は製炭所となる。

  • 昭和時代

  • 1940年

    ■近藤家、根雨公会堂を建築し根雨町へ寄贈

この年表は 『伯耆国たたら顕彰会 たたらNavi.サイト』より引用しています。

クロム鉱山

 日本で最初にクロム鉱床が発見されたのは現在の日南町・多里地域で、明治20年(1887)代の後半と伝えられています。
日南町内では多里地域に若松鉱山・広瀬鉱山の2つの鉱山、日野上地域に日野上鉱山、それぞれが開業しました。
その中でも多里地域の若松鉱山はクロム鉱石産出量で日本一を誇り、金属鉱山の大部分が昭和の時代に閉山や休山に追い込まれるなかで、平成8年(1996)まで鉱石を産出し続けました。

 多里地域を中心としたクロム鉱山は、大正14年~昭和20年(1925~45)のクロム鉱石出荷量のうち全国の約50パーセントを占める代表的な産地にまで成長し、この時代の鉄鋼業の近代化に多大な貢献をしました。
これらの実績を踏まえ近代化産業遺産群続33へも登録され、また『県の石』として鳥取県を代表する石としてクロム鉱石が選ばれました。

 この若松鉱山を歴史的遺構として後世に伝え、観光資源として積極的に活用する為に『多里の鉱山を語り継ぐ会』により活動が成されています。また様々な資料が多里地域振興センター(旧多里小学校)に展示されています。

  • 若松鉱山に残されている比重選鉱機。
    稼働状態に近いまま保存されているものは日本国内でもかなり貴重な存在です。

    資料提供:日南町教育委員会

  • この写真は1958年|昭和33年の『県政だより』10月号に掲載された若松鉱山の採鉱場です。

『若松鉱山』については鋭意作成中です

 日南町よりも遠い昔から、
この地で営まれていた『たたら製鉄』。
日本一の産出量を誇り日南町・多里地区の繁栄に貢献した『若松鉱山』。
 時代の変化と技術革新により、どちらも過去のものとなりました。

しかし、それら、先人の
努力と苦労の積み重ねが
現在の私たち日南町に暮らす人々の日々に繋がっている事を強く感じます。

 現在の私たちが、
未来の日南町に何が出来るのかを
これらの歴史を通して考え続けることが大事だと思いました。

伯備線 生山駅・上石見駅 開業100周年事業

日南町実行委員会